2018年4月24日火曜日

お花見とガルガル期

先週の水曜日はふぁーふぁの育休最終日。

家から約一時間、パリの南郊外にあるソー公園にお花見に行ってきた。


時期的に出産直後やから今年は無理やろな~と諦めてたのに、なんと今年は開花が遅れてちょうどいいタイミングで行けた。

平日やけど学校のバカンス時期ってのもあってか結構な人だった。

一年前はふぁーふぁと二人、今年はべべが加わって三人。
行き帰りの車の中、公園内歩いてる時はずっと寝てたけど、桜の木の下ではうんち&授乳のエンドレスループ( ̄∀ ̄)

花より団子ならぬ、花よりべべの世話。

この日はかなり暑かったのもあるし、初めての長時間の外出がストレスやったのか、帰ってからかなりぐずぐずぐず男君になってしまったべべでした。

二週間半の育休中、ふぁーふぁは毎日家事全部と育児の手伝いほんとよく頑張ってくれた。

毎日昼と夜に栄養のあるご飯を作ってくれて、そのおかげもあってかおっぱいトラブルもなく過ごせた。

なのに私は退院してから一週間ちょっとはホルモンの影響でほんとに狂ったようにふぁーふぁにイライラしまくってた。
俗に言うガルガル期というやつかな。
ちょっとした言動や態度にとにかくイライラ、怒りまくる。

せっかく作ってくれたご飯をしょんぼり食べるふぁーふぁを見てかなりの罪悪感、そして自分の言動に激しく後悔。

それでもまた翌日は同じことの繰り返し。
大好きなはずのふぁーふぁの全てに嫌気がさして、もうべべが産まれる前の関係に戻れないんやろかと落ち込み悲しんだ。


そんな中ケンカして一日半全く口をきかなかった。
ケンカの発端となったのはネットで注文した抱っこ紐が、待てども待てども当日の朝に通達されてた時間に来なくて、結局連絡もなしに翌週の都合のいい時間を選んで下さいの自動メールを受信し、私のイライラがマックスになったことから(運送会社のバカヤロー!)。

口をきかない間もふぁーふぁは家事に専念。

ご飯もしっかり作ってくれてたけど、食べてる時はお互い無言。
退院後、結構な頻度でふぁーふぁにおむつ替えをお願いしてたけど、さすがにこの一日半はお願いできずに自分でこなすも、しんどくなり、そして泣けてきた。

「もうこの人は上手くやっていけないなのか、、、。」
「べべはどうしよう。去る前にいっぱい授乳しておかないと、、、。」
と今思い返すと笑えるくらい超極端で負なことばかり考え始める。

でも最終的には二人で大泣きしてスッキリして解決。

今もまだまだ普段よりふぁーふぁに対してイライラしやすいけど、してもらってる事への感謝の気持ちを忘れずに過ごしたいものです。

また来年もお花見行けますように!

2018年4月18日水曜日

フランスで出産③産後編

あっという間に生後二週間。

授乳時間の活用法を考えながら、本日もブログを書いております。
授乳中べべの必死な姿は可愛いのだけど、ずっと見てると首が凝る。

今回は現在進行形でもある産後トラブルについて。

まず出産して数日、私が一番辛かったのは、、、

痔ヽ(;▽;)ノ!!!

会陰切開の傷が痛んでるんやと思い助産師さんに診てもらうと、立派ないぼ痔様が開花しててそれが痛んでることが判明

息を止めていきむと色んなところに力が入りすぎて、お尻の穴も被害に遭われたご様子。

いや~ね、一週間はほんとこのG様が痛すぎて、座ってるのがほんまに辛かった 

家に帰ってから慌ててドーナツ型クッションなるものを手持ちのもので作ってみた。
これの上に座るだけでお尻にかかるプレッシャーが減ってかなり良い!

処方されたクリームを塗り続け、だいぶ改善されてきた頃、ようやく会陰切開の痛みに気づき始める。

きっと最初から痛みはあったんだろうけど、G様の痛みが強烈過ぎて気づかなかった。笑

自宅に帰ってから妊娠中通ってた助産師さんが検診のためにやってきてくれた。
会陰切開のところがまだ結構腫れてるとのことで、クリームを処方してもらう。

その時にG様をみた助産師さんに「Oh my god!」と言われたのが、面白すぎて今でも笑える。

どちらも産後二週間でほぼ完治。

処方してもらったあれこれ。

プラスチックに入ったのはホメオパシー。
個人的にホメオパシーは信じてないけど、助産師さんにおすすめされて服用。
会陰切開の傷、むくみ、痔、産後ブルーに効くと言うもの。

青と黄色のカプセルはフランスのバファリン的な痛み止めdoliprane。
これは入院中に処方されたもの。これの他に二つ痛み止めが出されて、会陰切開の傷が痛むのが怖くて四時間おきに飲んでいた。

下のは便秘解消のため便を軟らかくするもの。
水に溶かして飲むんやけど、ちょっとポカリっぽい味がした。
でもなんとなく気持ち悪くて、二回くらいしか飲んでないから大量に残っております。

便秘解消にはマグネシウムたっぷり入った水とドライプルーンが一番効く!

(上)会陰切開の傷用に処方されたクリーム
(下)痔用のクリーム 
   フランスで痔と言えばこのクリームだそう。お困りの際はどうぞ、、、。

他に痛んだのは骨盤。臨月も終わりに近づいた頃にやってきた、恥骨痛のさらに痛いバージョン。
これは一ヶ月ほど様子見て、まだ痛いようなら恥骨結合離開の可能性があるから整骨院に通わなだめだそう。
でも日々痛みは軽減してるから大丈夫そう。
妊娠中に買っていまいち効果がわからんかったトコちゃんベルト、産後の骨盤痛と腰痛にはよく役立ってる気がする。

この恥骨結合部の痛み、寝返り、起き上がり、ズボン履く時等ほんと痛くて、出産のダメージは交通事故並みという言葉はこのことかと思った。

元々の骨盤の歪みも影響したのかもやけど。

ありがたいことに最初からおっぱいの出がすこぶる良くて、今のところ完母です。

できれば完母で、だめならミルクでオーケーと思ってたけど、二週間完母で行くとこれからも完母でいけたらなと思い始めた。

おっぱいの出がすこぶる良いと書いたけど、それはそれは良すぎて逆に大変なことに、、、。母乳過多というやつなのかも。

授乳しない時間が数時間になると胸がパンパンでとにかく痛い。
新生児は飲む量もそんなに多くなく、飲んでもらうだけでは張りが治らないから手搾りで圧抜き。

でも絞った分だけ体はさらに母乳を作り出そうとするので、調整が難しい。

そしてたまに止められないほどの母乳の噴射シャワー、、、!
べべがむせる、べべの顔が母乳でびしゃびしゃ、私もびしゃびしゃになってほんと大変。

母乳パッドを使ってるけど、頻繁に変えないとえらいことになるし、蒸れてかぶれるし、ん~もう色々大変です。
母乳過多の場合は乳腺炎にもなりやすいらしいので気をつけなければ( ´~`)

妊娠して小さい胸が大きくなったと喜んでたけど、出産して2日でそれの倍以上に大きくなった我が胸。
お腹がペシャンコになって(下腹のほうはまだポニョポニョ)、なのに胸がムキムキ風!
鏡に映った自分の姿を見るたび、不自然な豊胸手術した人に見えて笑える。
ま、でも数日すると落ち着いた&授乳するとある程度しぼむのだけどね。

産後唯一楽になっなたのは体の重さ。
妊娠中に14キロ太ったけど(日本やときっとお医者さんに怒られてる)、入院中のげんなり食事のおかげもあってか退院時にはマイナス7キロ、産後一週間でマイナス9キロ。

9キロのうち5キロはべべ+胎盤や羊水やとしてあとの4キロは全身の浮腫み分かな。

手先から足先まで、最後は顔まで浮腫み放題やったから、浮腫みがなくなってすごいスッキリ。

ただ浮腫みが取れただけやのに細くなった気がして、妊娠前にスキニー履いてみたらパッツパツで脱ぐのもかなり大変やったという。苦笑

あとのプラス5キロは脂肪かな?
べべと外出できるようになったら、またいっぱい歩こう!
妊娠中に歩いてた散歩コースを一緒に、、、と想像するだけで涙がでそうだ~。

あとは妊娠するまで存在さえも知らなかった”悪露”。
産後子宮が元の大きさに戻るために一ヶ月ほど続く出血の事。

昔から生理の血が苦手な私。
妊娠してから毎月生理の血を見なくて済むなんてラッキー!と思って過してたから、産後のだらだら続く悪露が地味に辛い。

そんなわけで色々あるけど、日々少しずつ回復してる我が体。
改めて人間の体って上手い事できてるな~と思った。

よい季節になってきたし、早く完全に回復したものです。

2018年4月11日水曜日

フランスで出産②入院編

さてさて今回はフランスで出産、入院編。

前回の出産レポもですが、授乳のたびにちょこまか書いております。
最初はあんまりべべの近くでスマホは触りたくないと思ってたけど、毎度の授乳それはそれは暇すぎて(´-`)

我が家のべべさん、病院でとにかく量飲ますよう指示されてたからなのか、元々そういうタイプなのか、よく飲むよく飲む。=毎度の授乳時間が長~い。

さてさて人生で初めての入院、フランスでの入院生活withべべ、私にとっては不快なものでした、、、( ˆˆ )

通常は三日間の入院やけど、私の場合夜に出産だったので三日間+一晩。

数字で見ると、そして終わってみるとかなり短かったのに、早く家に帰りたくて帰りたくて仕方がなかった。

妊娠がわかってから健康保険には入れたものの、それの手続きに結構時間がかかってふぁーふぁが会社で入ってる任意保険の手続きがまだ完了してなかった。

そんなわけで私立のクリニックだと100パーセントカバーされないし、公立の総合病院で産むことに。
フランス内でも病院によって入院内容はかなり違うはず。

さすが総合病院と言ったところか、スタッフの数が多く入院中毎日違う助産師さんに出会った。

助産師さんはみんなTheプロって感じで頼り甲斐のある感じだった。私がフランス語をちょっとしか話せないことは皆んな知っていて、英語や簡単なフランス語を使って説明してくれた。

スタッフはいい人達なのに何が不快だったかというと、

第1に入院食!

言葉より写真見てもらった方が早いので、どうぞ見てやってくださいな。笑


暗がりの中23時半に食べた最初の入院食。
この日はお昼もちゃんと食べてなかったから、お腹がすいてすいて無心で食べた。

一日目のお昼
野菜がThe缶詰野菜、鶏肉がゴムの様。。。

この日が一番ましだった気がする。ラタトゥイユと魚。
サラダはかっさかさ。
洋ナシあるけどめっちゃ硬いのに普通のナイフしかなくて剥けず。

かぼちゃのピュレとハムみたいなん+かさかさサラダ。
かさかさサラダは二回目から手をつけなくなった。

朝ご飯は毎度これ。飲み物は毎回ホットチョコレートにした。
毎日オレンジジュースもうちょっと入れてくれたらいいのにと思ってた。

大量の豆と子牛。←噛むのが大変なこと!

メイン忘れられたのかと思ったけど、ほうれんそうがメインだった…。


ほんでこのバナナの色の悪さ。中は半分痛んでおりました。

美味しくない&あきらか栄養が足りてない&量が足りないのトリプルパンチ。

日本やとお祝い膳とかあるそうで羨ましいにもほどがある。
唯一良かったのはこのご飯のおかげで体重が一気に減った事でしょうか…ヽ( ´¬`)ノ

第2にシャワー!
毎日ふぁーふぁが来てくれる時間にシャワーを浴びてたんやけど、二つあるシャワー室どちらも、、、。綺麗になったはずなのに、綺麗になった感じがしない( ˆˆ )

第3は忙しなさ!
3日間という短い入院中に、沐浴や母乳指導、血液検査や検診などがぎゅぎゅっと詰め込まれてて、その合間には頻繁な授乳とおむつ替えと休む暇がほとんどない。
産まれたてってしばらく体重減るのが普通なんやけど、退院時には体重が増やさないとだめで、そのためにとにかく飲ませてと指導される。
べべのペースなんてお構いなし。一度乳首を吸わせたらとにかく刺激しまくって疲れ果てるまで(最低20分)飲ませるという一種の荒技。笑

第4は二人部屋!
個室を希望してたけど空きがないと言われ全日程二人部屋になってしまった。
隣のママさんは良い人やったし一緒に頑張ってる戦友という感じで一人より良かったかもと思いつつも、ハイリスク出産だったらしくそれが原因なのかべべちゃんのギャン泣き具合がすごかった。
我が家のべべはお構いなしに寝てくれてたけど、私はお隣べべちゃんのギャン泣きに貴重な睡眠時間をさらに削られてしまった。

まあでもラッキーやったのはお隣さんも面会者は旦那さんだけやったこと。隣の部屋は連日小さい子供連れの家族5~6人がどどっと面会に来てて(それも数時間!)、その部屋の人と同室になってたらと思うとぞっとしたよね。

第5は部屋の暑さ!
赤ちゃんにとって最適な温度は20度と習ったはずなんやけど、日中は25度くらいまで(多分)達していた病室。
最終日にはやっと空調が効き始めていた気もするけど、それまではかなり不快だった。

体がしんどいのはもちろん、三日間と一晩の入院生活は中々精神的にも疲労するものでした。
家に帰るとすぐあれこれ助産師さんに聞けず不安かもと思ってたけど、快適なベッド、綺麗なシャワー、入院中より100倍美味しくて栄養のあるふぁーふぁの手作りご飯のおかげで、「家最高~!」となったのでした。

2018年4月10日火曜日

フランスで出産①出産レポ

ようやくこのタイトルで投稿できる日がやってきた。

エイプリルフール、今年はイースターの日、竹内結子様の誕生日、4月1日に予定日9日超過で無事に産まれてきてくれた我が家のべべさん。

いつか日本で学校に行くことがあるか分からんけど、あれば最後の早生まれ、学年一のちびっ子くんです。

前日の3月31日が満月で、陣痛が来るのをかなり期待して眠りについたんやけど、何もなく翌朝を迎える。

もともとの予定日が合ってる気がしない(生理周期が長いから)と思いつつも、予定日が超過して毎朝起きるたびに「あぁ、また来なかった。」と残念な気持ちになる日々。

さらに臨月でも死産することがあると知って、不安な日々。

自分自身が誘発で産まれてきたし、元気に産まれて来てくれるからなら別に誘発剤使ってもいいや~と思いながらも、自然に産まれてきて欲しい気持ちも大きかった。
陣痛促進のための日々の散歩、スクワット、踏台昇降、雑巾掛けなど頑張ってきた努力を無駄にしたくもなかった。(結局これらは安産、母子の健康に良いことやけど、産まれて来るタイミングを変えられるものではないと学んだ)

あと自然に来るのを待ちたかったのは三人とも誘発剤を使って産んだ母が、「ほんとはもう少し待ちたかった。」と言っていたからかな。

4月1日の時点で誘発分娩になるリミットまではあと3日。
この日は朝から検診で、相変わらず陣痛来る気配はないしもうリミットまで待たずに誘発してもらうことを決心。

この日初めて子宮口のチェックをしてもらうと指2本分開いてるとのこと。
この時チェックしてくれた助産師さん、その時わたし達には言わなかったけどもうすぐ来そうと思っていたそうな!

当日は空きスペースがないとのことで、翌日の2日に誘発分娩の予約を取り帰宅。

帰宅後ふぁーふぁと日曜日恒例のワンピースを観て、私は昼寝。
14時頃、トイレに行きたいと思って起き上がるとパンツにパシャ!
臨月に入ってくしゃみなんかで尿もれするとこはあったけど、それとは明らかに違う。

一歩踏み出すとさらにパシャ!
そして止めようとしても止まらない。
よく聞く風船が割れるような音は聞こえんかったけど、これは破水だ!

「ふぁーふぁー!羊水が出てきたー!」とまだ半分寝ぼけながらヘルプを求める。

とりあえずトイレに座るとさらにパシャ。
目も覚めてきて冷静に思ったことは、「羊水、くっさーーー」だった。笑

ふぁーふぁに病院に電話してもらうと、とりあえずシャワーでも浴びて1時間以内に来てくださいとのこと。

破水したら細菌が入りやすくなるからシャワーはダメと日本とサイトで見たことがあって、いいのか?と疑問に思いながらも気持ち悪かったから軽く体を流す。

そして朝行って帰ってきたばかりの病院へ向かう。

きっとまた破水するだろうし何を着て行ったらいいのか迷いつつ、ズボンやと濡れた時に脱ぐのめんどくさそうやからワンピースにタイツで行くことに。

病院に着くまで約20分。
ちょうど着くあたりくらいに、ちょっと生理痛並みに痛いかも?と痛みを感じ始める。

「また明日。」と言った助産師さんと「こんにちは。」で再会。

早速モニターを付けて、陣痛の間隔とべべさんの心拍確認。

妊娠後期の麻酔医との面談後に行った血液検査の結果、血小板の数値が低いと言われた。
そのために無痛分娩の麻酔をするためには直前に再度検査することになってた。
結果が出るまで約1時間、麻酔するまで待機。

あっという間に陣痛がどんどん強くなる。

破水から1時間後の15時頃、陣痛のたびにやって来る痛みが中々の強さに。

バランスボールに跨って耐える。

15時半、3分間隔で陣痛。
この辺りまでは日本の家族に実況中継できるほど。
陣痛が来てない間は普通にふぁーふぁとおしゃべり。

母親学級で学んだラマーズ法を実践。
でも痛いものは痛い( ˆˆ )

ここら辺で子宮口5cmほどやったかな。

16時頃、陣痛のたびに「痛い」を連呼するようになる。
そして更なる破水でバランスボールびちゃびちゃで気持ち悪いから床でヤンキー座りやうずくまり体勢になる。

するとトイレ(大)に行きたくなる。

必死こいてトイレまで行ったものの出てこない

この詰まってる感覚は便ではなくべべさんの頭だったらしい。

これまた必死こいて部屋に戻る。

血液検査の結果が出て、麻酔オーケーとのこと。
これで麻酔だめですってなってたら、絶望してただろうな
ただ前の人の処置が終わってないから、17時頃まで待ってとのこと。

この頃の痛みはすでに私にとっては10中9で「あーーー、イーターイーーー、もうムリーーー、きぃぃぃー」と唸ってたんやけど、あまりにも俊敏に「今何時!?」と聞いたから、ふぁーふぁも助産師さんも笑ってたのを覚えてる。

この時16時45分

さらに強くなる痛みをラマーズ法で和らげようとするものの、全く効果を感じられず。

ようやく時間になって車椅子にのり、分娩室へ。

ここではふぁーふぁは退室しなだめで一人きり。麻酔医二人がかなりのんびり準備してて、「イタイ」の声をボリュームアップしてみるものの効果なし。チーン。

骨髄麻酔する前に腕に点滴刺されるのやけど、その針の痛いこと!陣痛感じながらでも痛かった。
しかも最初右刺され、だめやったのか再度左にブスっ‼︎

骨髄への麻酔はその前に部分麻酔をしてるから、特に痛みは感じず。

が、そんなすぐに効くわけではなく、クレイジーな痛みに「いた~いよー~ー!」と半泣きで叫ぶ。
麻酔医のうち一人が(二人とも男性だった)英語で Whats wrong?? ”って何をそんなに痛がってんのみたいな口調で言ってきて Its pain!!”と答えるとあっそうって感じで無視された。

もーね、痛い真っ最中やけどかなりイラッとした。夫への産後の恨みは一生ものとか言うけど、私はこの麻酔医に対して恨みをもったよね。

で肝心の麻酔、中々効かない
ネットでは背中に冷やっとしたもの感じると読んだけど、そんな感じナッシング。
痛かったら追加できるようにボタン渡されるけど、一回押したら次押せるまで制御されてて全然追加できず。制御されてるのわかりつつも、無駄に何回も押したよね。笑

あれ~思ってたのと違うよ~。泣

多分この時18時くらいで子宮口は8cmほどの開き。
このままでは私の体力がなくなってくとのことで、強い麻酔を入れてもらう。

これでやーーーっと痛みから解放された\(´ω` )/
もうその後は楽ちんすぎてびっくり。
血小板の数値さえ低くなければ、もっと早くにこの楽ちんさを味わえたのにな~。

のんびりモニター見ながら、ふぁーふぁと話しながら待機。

するといきなりべべの心拍が下がってきて、アラームが鳴り出す。

お産チームなのかいきなり5人ほど入ってきて、みんな帽子をかぶったり手袋をしたりと一気に慌ただしくなる。

が、準備完了というところでべべの心拍元どおりに。陣痛にちょっと疲れたのかなとだけ言われ、みんなゾロゾロと出て行く。

が、3分後に全く同じ状況になり、子宮口も全開とのことでお産ポジションへ。
またゾロゾロと5人ほど人が入ってきたのだけど、メインの助産師さん以外のメンバーが総代わりしててびっくり!笑

隣で同じ時間に出産してる人がいて、さっきのチームはそちらへ行った模様。

毎月言ってた助産師さんのところで、息を止めていきむのは会陰も裂けやすいから良くない。できたら息を吐きながらのお産をして欲しいと言われてて、しっかり練習もしたのだけど、ここの助産師さんには息を止めていきめと言われ従うしかなかった。

これが直接の原因なのかはわからんけど、後々のトラブルの辛さをこの時は知る由もなく、、、泣

「吸って~、息止めて~、はいプッシューーー!」の掛け声に合わせて、なんとなく力いっぱいいきむ。
なんとなくってのは麻酔で下半身の感覚がほぼないから。

なんとなくやったけど、すごい上手と褒めてもらった。
5回ほどいきんで、最後はべべの出ようとしてる方向が良くなかったらしく、ちょっと吸引されたけど出てきた!

19時3分

一瞬胸の上にどんっと置かれたけど、泣かない&動かない。
そしてすぐに別室に連れてかれる。ふぁーふぁも退室。

え?何々?と一人かなり不安になる。

3分後くらいにべべとその後ろでサムズアップしてるふぁーふぁが帰ってきた。

何も問題ないとのことで一安心。
べべが泣く胸の上に置かれる私も泣くってシナリオを描いてたけど、産まれた瞬間はただただ呆然。
麻酔やと出てくる感覚が分からんくて、え、もう出たの?って感じやった。

そういえば分娩の前におしっこ出しとくねと言われて、何の感覚もないまま「シャーーー」っと出てる音だけしてたの、面白かったな。

その後胎盤を出したり、裂けたのか切られたのか知らんけど切れた会陰を縫ったり(内側数針、外側5針とのこと)、処置は続く。
胸に置かれたべべに乳首を吸わせながら待機。

それから二時間分娩室で安静に。

ふぁーふぁとのんびり話しながら過ごすも、喉がカラカラで辛かった。

二時間経ってさらに一時間半ほど迎えが来るのを待って、病室へ運ばれる。

さらに30分ほど待ってやっと水をもらいゴックゴック飲んだ。そして23時半に無心でご飯を食べる。

食べ終えるまで待っててくれたふぁーふぁが帰宅。

この晩は助産師さんにべべを預かってもらい、授乳の時だけ運んできてもらうことに。

長い長~い一日がやっと終わった。

予定日を過ぎに過ぎのんびり屋さんかと思いきや、破水から5時間とまあまあな速さで産まれて来たべべさん、きっとふぁーふぁにそっくりでマイペース屋なんだな。

お腹の中で問題なくすくすく育ってくれ、元気に産まれて来てくれてほんとにありがとうの気持ちでいっぱい。

そして遠く日本から応援、安産を願っていてくれた家族と友達に感謝感謝です。

母としてはこれからが本番。愛おしくて仕方がないべべのため、一生懸命がんばりまーす!

和よりなお顔で出てきたべべ、上から写すとちょっと洋風なお顔です。